今 我が家の次男坊は 中学校3年生
私立高校の試験まであと20日
息子に「人生の分岐点に いるんだよ、自分の人生なんやから・・」と
はっぱをかけています。
そんな時 ふと自分の人生の分岐点は どこだったんだろうか・・・と
思ってしまいます。
私が 若いころは
女の人は20代前半で結婚して
家庭に入り 子供を産んで専業主婦になるってのが
一般的でした。
山口百恵さんの 時代ですね。
でも 商売人だった父は
「これからの時代は 女の人も 仕事して
一人で生きていけるようにならなああかんねんで・・」と
口癖のように 言われて育ちました。
我が家は 私が小学校4年生からペットショップを
営んでいます。
私の姉は スポーツ大好きで社交的
勉強よりお友達付き合いが 忙しい人でした
で・・・姉が選んだ 進路は トリマー
当時は まだ 大阪にトリミング学校第一号が 開校したばかりの時
姉が 高校の担任に「トリミング学校に行きます」と言うと
「それは なんという職種ですが、 わが校から そんな 専門学校に行った
人は ありません」と言われた 時代です。
一方私は 部屋で一人で本を読んでいるのが大好きなタイプ
小さいころから 人見知りが激しくて 親を困らせたと思います。
でも 犬は 本当に大好きで 小学校1年生の時に
無理やり ドーベルマンとともにドッグショーデビューさせられて
とても恥ずかしかったですが
犬と 何かが 出来るのが楽しくて それが 今につながっています。
女の人でも 生涯出来る仕事・・・
中学生の私に 思いついた職業は・・・「獣医さん」でした。
ですので
高校・・・そして浪人して
当時まだ 大阪に 駿台予備校がない時で
急行電車で 一時間かけて
京都の二条城横にある
駿台予備校に一年間通いましたよ・・・
先日 センター試験が行われていましたが
私たちの時代は
「共通一次テスト」と呼ばれていました。
マークシートのお絵かきもとても 上手になりました。
2年間(もちろん高校在学時もですが)一生懸命勉強しましたが
結果は 不合格・・・
いまさら どこかの女子大にも 行く気になれず
父が「アメリカのドッグショーを見に行ってみるか?」と
言ってくれて
英語も喋れず また 受け入れ先の 人とも
なんの面識もないのに
いきなり渡米し アメリカのドッグショー界で
色々なことを学び
その時たまたま出会ったビションフリーゼを
日本に 持ち帰り
そして・・・そして その時から ずっとビションフリーゼとともに
人生を 歩んでいます。
もし あの時私が 獣医大学に 合格して
獣医さんに なっていれば 決して
アメリカに行くこともなく
主人とも 出会う事もなく
また マックスという名の
一頭のビションフリーゼは
絶対に日本に来ることはなかったと思います
本当に人生 なにが 起こるか分からないですよね・・・
写真のスパイクも「僕なんで日本に来たんだろう・・・」って思っているかも・・・です
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